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中日文化の間を「泳ぐ」作家毛丹青(一)
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2017-05-24 10:40:52 | 人民網日本語版 | 編集: 郭丹

  絵:孫婷婷さん

   作家毛丹青は微信(Wechat)の公式アカウントで、自分のことを「日本で暮らす作家で、神戸国際大学の教授。日常生活をメインにし、日本文化の細部について描写することだけにこだわっているのではなく、他のことについても書くこともあるものの、主に日本人に対する理解を目的としている」と紹介している。(文:徐敏。済南日報掲載)

   最近、毛丹青が翻訳したお笑いタレントの又吉直樹の小説「火花」の中国語版が人民文学出版社から刊行された。「火花」は日本で、発行部数300万部という大ベストセラーとなった。今回、毛丹青が取材に応え、「火花」を翻訳することになったきっかけにやこれまでの創作のエピソード、中日文化交流などについて語ってくれた。

   「人生で最も意義あるのはターニングポイント」

   毛丹青は、中国語と日本語を巧みに操ることができる作家で、日本語で日本について書く中国人だ。近年、毛丹青は中日両国を行き来し、中日文化交流に力を注いでいる。そして、莫言や余華など中国の作家の作品を日本でPRしたり、中国語で日本について書いたり、さまざまな著作を刊行したり、翻訳したりしている。莫言は毛丹青の作品について、「僕の日本に関する夢の世界で、毛丹青という魚が必ず泳いでいる」と独特の言い回しで評価している。毛丹青という学術青年は日本へ場所を移して投資し、ビジネスを行った。その後、作家となって創作したり、教師として教壇に立ったりと、日本で生活している30年の間に、毛丹青さんは2度の大きな人生のターニングポイントを経験した。

   生活において、毛丹青は、「男は、ある期間の中で一つのことに真剣に打ち込めばいい」という信念を抱いている。北京大学を卒業した後、毛丹青は中国社会科学院哲学研究所に入社し、「純学者」の道を歩み始めた。それから2年後、日本に留学し、日本の中国人留学生になった。「あの頃はお金が全然なくて、授業がない時はアルバイトをしていた。そして、少しずつ魚介類を売るビジネスを始めた。勉強しながら働くというのは、とても疲れるもので、それを両立するのはとても難しい。そのため、魚介類のビジネスに没頭したほうがいいと思うようになった」と毛丹青。これが、1回目の大きなターニングポイントだ。

   日本に来た当初について、毛丹青は、「自分は孤島のようで、全く違う生活環境に入ったと感じた。それにより、知恵の面で衝撃を受け、知識の蓄積ができた」と振り返る。日本で約10年職場生活を経験した後、毛丹青はやっぱり文学や思弁が好きであることに気付き、思い切って全ての仕事を辞め、1年間日本の各地を旅行した。毛丹青はそれを「放浪旅行」と呼んでいる。

   「旅行は主に、創作のネタのため。あの頃は日本語で本を書くことを目指していた。母国語でない言語で、外国の文化や現地の人の気持ちを書くというのは、とても難しいこと。単なる自己満足にならないようにし、業界に受け入れてもらうために、ネタの収集はとても大切。日本文化を理解していない本が受け入れられることはなく、自分で一つ一つ掘り起こし、日本人でも知らないことを書けるほどにならなければならない。ビジネスをしていたころと比べると、これは大きなターニングポイントとなった。その時は『どうにでもなれ』という気持ちだった」と毛丹青。

   ビジネスを辞め、作家の仕事をするようになった毛丹青は現在、大学の教壇にも立って9年経つ。普通の人ならほとんど経験することのないこのような変化について、毛丹青は、「とても貴重で、バラエティに富む人生で、刺激がある」とし、「人生で最も意義あるポイントは、スタート地点でもゴール地点でもなく、ターニングポイントかもしれない。どのターニングポイント、どの段階も、僕は全身全霊込めてやり、一点の迷いもなかった」と話す。2度のターニングポイントは毛丹青にとって、とても意義のあることだったのだ。(次回につづく)

 

(人民網日本語版)

 

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中日文化の間を「泳ぐ」作家毛丹青(一)

新華網日本語 2017-05-24 10:40:52

  絵:孫婷婷さん

   作家毛丹青は微信(Wechat)の公式アカウントで、自分のことを「日本で暮らす作家で、神戸国際大学の教授。日常生活をメインにし、日本文化の細部について描写することだけにこだわっているのではなく、他のことについても書くこともあるものの、主に日本人に対する理解を目的としている」と紹介している。(文:徐敏。済南日報掲載)

   最近、毛丹青が翻訳したお笑いタレントの又吉直樹の小説「火花」の中国語版が人民文学出版社から刊行された。「火花」は日本で、発行部数300万部という大ベストセラーとなった。今回、毛丹青が取材に応え、「火花」を翻訳することになったきっかけにやこれまでの創作のエピソード、中日文化交流などについて語ってくれた。

   「人生で最も意義あるのはターニングポイント」

   毛丹青は、中国語と日本語を巧みに操ることができる作家で、日本語で日本について書く中国人だ。近年、毛丹青は中日両国を行き来し、中日文化交流に力を注いでいる。そして、莫言や余華など中国の作家の作品を日本でPRしたり、中国語で日本について書いたり、さまざまな著作を刊行したり、翻訳したりしている。莫言は毛丹青の作品について、「僕の日本に関する夢の世界で、毛丹青という魚が必ず泳いでいる」と独特の言い回しで評価している。毛丹青という学術青年は日本へ場所を移して投資し、ビジネスを行った。その後、作家となって創作したり、教師として教壇に立ったりと、日本で生活している30年の間に、毛丹青さんは2度の大きな人生のターニングポイントを経験した。

   生活において、毛丹青は、「男は、ある期間の中で一つのことに真剣に打ち込めばいい」という信念を抱いている。北京大学を卒業した後、毛丹青は中国社会科学院哲学研究所に入社し、「純学者」の道を歩み始めた。それから2年後、日本に留学し、日本の中国人留学生になった。「あの頃はお金が全然なくて、授業がない時はアルバイトをしていた。そして、少しずつ魚介類を売るビジネスを始めた。勉強しながら働くというのは、とても疲れるもので、それを両立するのはとても難しい。そのため、魚介類のビジネスに没頭したほうがいいと思うようになった」と毛丹青。これが、1回目の大きなターニングポイントだ。

   日本に来た当初について、毛丹青は、「自分は孤島のようで、全く違う生活環境に入ったと感じた。それにより、知恵の面で衝撃を受け、知識の蓄積ができた」と振り返る。日本で約10年職場生活を経験した後、毛丹青はやっぱり文学や思弁が好きであることに気付き、思い切って全ての仕事を辞め、1年間日本の各地を旅行した。毛丹青はそれを「放浪旅行」と呼んでいる。

   「旅行は主に、創作のネタのため。あの頃は日本語で本を書くことを目指していた。母国語でない言語で、外国の文化や現地の人の気持ちを書くというのは、とても難しいこと。単なる自己満足にならないようにし、業界に受け入れてもらうために、ネタの収集はとても大切。日本文化を理解していない本が受け入れられることはなく、自分で一つ一つ掘り起こし、日本人でも知らないことを書けるほどにならなければならない。ビジネスをしていたころと比べると、これは大きなターニングポイントとなった。その時は『どうにでもなれ』という気持ちだった」と毛丹青。

   ビジネスを辞め、作家の仕事をするようになった毛丹青は現在、大学の教壇にも立って9年経つ。普通の人ならほとんど経験することのないこのような変化について、毛丹青は、「とても貴重で、バラエティに富む人生で、刺激がある」とし、「人生で最も意義あるポイントは、スタート地点でもゴール地点でもなく、ターニングポイントかもしれない。どのターニングポイント、どの段階も、僕は全身全霊込めてやり、一点の迷いもなかった」と話す。2度のターニングポイントは毛丹青にとって、とても意義のあることだったのだ。(次回につづく)

 

(人民網日本語版)

 

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