【新華社日本・長崎8月10日】今年7月初めに日本は8県の産業遺跡23カ所を「明治日本の産業革命遺産」にまとめて世界文化遺産に登録したが、そのうち多くの遺跡はかつて朝鮮半島と中国から強制連行された数万人の労働者が労働し、多数の死者が出た場所だ。
世界文化遺産の審議の過程で、日本は「本人の意志に反して、朝鮮半島などから多数の労働者を強制徴用し、劣悪な環境で労働させた」ことを認め、一定の措置を講じて遺産の紹介で「犠牲者」を提起することを承諾した。
1カ月が経過した8日、記者は長崎県端島(軍艦島)を訪れ、「軍艦島」遺跡の紹介と現場解説で、強制労働の被害に関連する資料がほとんど見当たらないことを確認した。
「軍艦島」の正式名称は端島で、島全体が軍艦のように見えることから「軍艦島」という俗称がある。海底に良質の石炭が埋蔵されているため、1890年に日本の三菱に買い取られ、何度も埋め立てを経て拡張され、当時の日本の著名な石炭産業拠点へと発展した。
日本の外務省が戦後に公表した資料によると、約4万人が第二次世界大戦中に日本に強制連行され、このうち3,700人余りが三菱傘下の各工場で石炭採掘の重労働を強いられ、722人が死亡した。
「軍艦島」の公式案内の説明で、記者は中国と朝鮮の労働者に関するいかなる内容も聞かなかった。「説明しないのは良くない。事実は事実で、説明してここを訪れる人々の思考を促すべきだ。」参観者の木藤さんは記者にこう語った。「日本の学校で教えない事柄は自分で学ぶしかない。係員は労働者の悲惨な経歴についても説明すべきだ。」
多数の日本人の眼には、現在の「軍艦島」は依然として日本の近代の繁栄を象徴し、近代産業革命を代表する遺産と映っているが、このために尊い生命を犠牲にし、非人道的な虐待を受けた異郷の人々について提起されていない。歴史と世界の人々の前で、日本は選択的な記憶喪失の本領を再び発揮した。
「見事な」計画的策略によって、日本は「軍艦島」を代表とする「明治日本の産業革命遺産」を世界文化遺産リストに推し上げることに成功したが、世界文化遺産の意義は一体、どこにあるのか。歴史を軽んじる人々は永遠に答えを探し出すことができない。
関連記事:
民国時代の八路軍新四軍の抗日戦争関連公文書 中国が初めて公開