河南省霊宝市の函谷関歴史文化観光区。(6月13日、小型無人機から撮影、鄭州=新華社記者/李安)
【新華社鄭州9月11日】中国河南省には三つの函谷関(かんこくかん)がある。霊宝市の秦函谷関、洛陽市新安県の漢函谷関、黄河河畔に築かれ秦函谷関に隣接する魏函谷関で、うち秦函谷関が最も古い。
記者はこのほど、霊宝市内にある秦函谷関を訪れた。同市函谷関歴史文化観光区管理処の郜俊明(こう・しゅんめい)副主任は「歴史に名高い関所の中で函谷関は最も特殊だといえる。西の長安から東の洛陽に至る交通の要衝であり、千数百年にわたり「兵家必争」の地であり続けた。古代中原地域(黄河中・下流の平原)の中心部と西北地域との文化・経済交流の拠点でもあった」と説明した。
地図を見ると、霊宝市を管轄する三門峡市一帯は、黄河が「几」字形に湾曲しており、西は高原、東は深い谷、南は秦嶺山脈、北は黄河に接している。秦函谷関はこのような天険の地に築かれた。
函谷関は歴史上、名誉の象徴の境界線でもあった。秦漢時代には都がある関中地区(函谷関の内側=西側)に住むことは一種の栄誉とされた。前漢時代には、楼船将軍として功績を上げた楊僕(よう・ぼく)が、郷里の宜陽(現在の新安県)が「関外(函谷関の外側=東側)」にあることを恥じ、武帝に願い出て函谷関を東に移動させたという「楊僕徙関」の逸話もある。
楊僕の建議によって築かれた関所がすなわち漢函谷関で、洛陽市新安県の東にある。2014年に「長安-天山回廊の交易路網」として世界遺産に登録されたシルクロードの遺産群にも含まれている。
新安県文物保護サービスセンターの王洪超(おう・こうちょう)副主任は「漢函谷関は秦函谷関と比べ軍事的機能は劣るが、交通の要衝、商業の中継点としての機能は整備されていた。牽駝俑(けんだよう)や胡俑、駱駝俑なども多数出土しており、西域の特色を具えたこれらの文化財は、当時のシルクロードの繁栄を裏付けている」と語った。
その後の歴史で政治の中心が東へ移り、経済の中心が南に転じると、東西を結ぶ要路を抑える函谷関の地位は低下した。ただ、中華民族の発展の過程を振り返れば、函谷関は常に無視できない存在であった。
「一帯一路」構想の推進が深まる現在、鄭州市(河南省)を始発地とする中国と欧州を結ぶ国際定期貨物列車「中欧班列」が古代シルクロードに沿って西へ延び、中欧に達している。中原の中心部は再びシルクロード沿線国と緊密な関係を持つようになった。(記者/王丁、桂娟、双瑞)