内モンゴル自治区固陽県にある秦代に造られた石積みの長城の遺跡。(2012年5月20日撮影、フフホト=新華社記者/趙婷婷)
【新華社フフホト3月14日】中国内モンゴル自治区の考古学者はこのほど、万里の長城の調査を行い、秦の始皇帝が建設したと伝えられる万里の長城が、実際は大半が漢代に建設されたことを発見した。
内モンゴル文物考古研究所の張文平(ちょう・ぶんぺい)副所長は「現地調査の中で、秦代に建設された長城の区間を探すのは非常に難しいことが分かった。実際のところ、内モンゴル西部の春秋戦国・秦・漢時代の長城のうち、現存する遺跡は主に漢代に建設されたものである」と述べた。
内モンゴル自治区固陽県にある秦代に造られた石積みの長城の遺跡。(2012年5月20日撮影、フフホト=新華社記者/趙婷婷)
同自治区巴彦淖爾(バヤンノール)市の文化財・考古学専門家、胡延春(こ・えんしゅん)氏が説明した長城の分布状況によると、同市には南北方向に長城が4カ所ある。南端は陰山主脈の烏拉(ウラ)山南麓一帯の版築で作られた(春秋戦国時代の)趙代の長城。北側の陰山主脈にある、石を積み重ねて作られた長城は秦代に建設された後、漢代に補強、修繕、延伸が行われた。さらに北側には、広大な牧草地まで延びる漢代に建設された長城が2カ所並走している。
張氏によると、秦の始皇帝時代は趙の長城をそのまま用いるとともに、趙の長城の北側でさらに長城が建設された。だが、山頂に沿って途切れ途切れに建設されるなど完全な防御システムは確立されておらず、漢の武帝時代にようやく東西につながる万里の長城の防御システムが確立したという。(記者/殷耀、勿日汗、于嘉)
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