韓国光復軍の記念写真。1940年9月17日、大韓民国臨時政府が中国重慶市李子壩(りしは)の嘉陵(かりょう)賓館で創立した。重慶市衛戍司令部の劉峙(りゅう・じ)総司令官(手前右三)は中国国民政府の代表として祝賀の意を表した。手前左から3人目は大韓民国臨時政府の金九(キム・グ)主席、右から2人目は韓国光復軍の李青天(イ・チョンチョン、本名・池青天=チ・チョンチョン)総司令官、右端は中国の政治家・教育家の黄炎培(こう・えんばい)。(資料写真)
【新華社重慶9月4日】中華民族は1945年9月3日に抗日戦争「勝利の日」を迎えた。戦争期間中、重慶市は戦時下における首都として、政治、軍事、経済、文化などの面で極めて重要な戦略的地位を有した。
「中国の抗戦の意志を徹底的にたたきつぶす」ため、中国侵略日本軍は1938年2月から1944年12月まで重慶市とその周辺地域に長期的な無差別爆撃を行い、重慶市民に空前の災禍をもたらした。
しかし、残酷な爆撃がこの都市をたたきつぶすことはなかった。爆撃期間中、重慶市民は生産と学習を堅持し、さまざまな形で活動を組織・展開、抗日戦争を支援した。
この一連の写真は抗日戦争中の重慶市の社会状況を記録しており、重慶市民の楽観的な抗日戦争の精神を示し、中国の戦時下における首都の様子を再現している。(新華社配信/「抗日戦争記憶」画集提供)