あるネットユーザーはデジタル製品への感想を書くのと同じように、文章に写真まで添えて、この爪切りの「利用した感想」を投稿している。ある人は日本から爪切りを1つ持ち帰ったが、毎回日本に行くたびに友達に買ってきてほしいと頼まれるとコメント。もし製品の性能や利用者の体験が異なっていたとしたら、このような状況は起こりにくいに違いない。
この爪切りにどんな先進的な金属材料や生産技術が使われているのかを判断することはできない。しかし確かなのは、爪切りという、このいたって平凡な製品分野でこのように非凡な製品を作り出し、異国の消費者が倍の価格を出してまで買いたいと思わせるのは、すばらしい匠の精神という支えが無ければ考えられないということだ。
資料によれば、この爪切りを販売するのはすでに100年の歴史をもつ企業だという。長い歴史の中で十数グラムの合金素材に何代もの職人たちが新しい金属材料、鋳造技術、科学構造という手を加え、新しい生命を注ぎ続け、その品質と名声を今日まで継承し続けており、最終的に製品の価格レベルという経済的利益に転化させている。これはマーケットが匠の精神に与える最大のフィードバックと言えるだろう。
仏山でも匠の精神に則って、細分された業界でトップとなり、海外市場においても人気を得ている例を多く知っている。機械設備や水道管、タイルなどの製品には多くの先進的な技術が用いられており、いずれも匠の精神とは切り離せない。しかしこのような都市に住んでいるからこそ、この爪切りから多くのことを考えざるを得ない。
爪切りは一連の疑問を投げかけてくる。利益がとても低い非常に多くの工業製品には本当にもう価格を引き上げる可能性は無いのだろうか?これらの製品は性能や利用者の体験、品質などでもうすでに究極のレベルまで作り上げているのだろうか?どのような内的または外的要素から企業は匠の精神という方向を目指すことをしないのか?
さらに多くの高い品質で高い価格帯の特色あるニッチ消費を追求した分野に仏山の企業が進出できないだろうか?仏山はさらに多く市場平均価格に比べ10倍以上する製品を作れないだろうか?仏山のブランドのうちいくつがノンブランドではなく、自社ブランドとして海外の消費者から人気を博すことができるだろうか?
こうしてみると、多くの企業にはそれぞれ匠の
精神に関する物語があり、しかもそれはロマン主義と理想に満ちているが、実際企業は優勝劣敗で淘汰されていく過程で、より高い利潤を求めることが生き抜いていく一種のモデルとなっている。客観的にも匠の精神には多大な投資が必要であるにもかかわらず、100%企業が生き抜いていけるという保証はない。しかしながら、企業が製品の優れた付加価値と企業の長期的な存続を望むならば、必須の選択だろう。
生産能力が過剰で、経済が高度成長に別れを告げる新しい段階において、仏山の製造業が発展していくにはより高い産業レベルと製品レベルが求められ、「新たな供給」を生み出していく必要がある。ロボットの製造にしても、タイルや醤油、家具に新技術を導入して革新していくにしても、匠の精神を堅持することが要だ。この「過剰」の時代を迎えた今、これは伝奇的なやり方としてではなく、必然の選択だろう。
(人民網日本語版)
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