1943年6月、山東省聊城県で、監禁された国民党部隊の捕虜の中に「大腸炎の患者12人が出た。患者に何の治療もせず、食べ物を与えず、25歳前後の男性12人を虐殺した」。その後、さらに患者5人が出たため、「兵士5人に命令し、5人の捕虜を東昌城北門付近に連れて行き、銃剣で2人を殺害、銃で3人を射殺した」。
1945年1月、山東省館陶県のある村で、「住民が避難し、無人となった家屋100戸に放火」に加わった。さらに2月、冠県でも「家屋200戸に放火」に加わった。3月、山東省荏平県でも「家屋60戸に放火」に加わった。
1940年9月から1945年5月、山東省兖州、莱蕪県、聊城県、陽谷県、臨清県、済南市、禹城県の各地で「慰安婦」を強姦し、「合わせて30人(中国人女性16人、朝鮮人女性14人)を強姦した」。
(新華網日本語)
当社サイトのコンテンツは著作権法によって保護されます。無断転用、複製、掲載、転載、営利目的の引用は禁じます。
関連記事: