北京で開催された新書出版座談会に出席した中島幼八さん。
【新華社北京8月4日】北京日報の記事によると、『この生あるは ―中国残留孤児がつづる』中国語版がこのほど、三聯書店傘下の生活書店で初出版され、73歳の日本の老人、中島幼八さんは流暢な中国語で、目に涙を浮かべながら彼と中国との切り離すことのできない縁について語った。中国の養父母の彼への深い愛情について振り返った。中島さんは本の出版を通じて、中国の人々の善良さと胸襟の広さに感謝の意を表したいと述べた。
1945年に日本が敗戦し、中島さんの父親だった中島博司さんも徴兵されて生還していなかった。「この時、現れた一人の婦人が現れ、すなわちそのあとの私の養母で、『この小さな命を私が大きく育てていきます』と一言語り、私を抱いて帰った。」と中島さんは声をつまらせて語った。中島は養母の姓名は孫振琴だと告げた。
養母と三人の養父はまるでリレーのように交代で、中島さんが成長するまで養育した。1954年、中国紅十字会代表団が馮玉祥将軍の李徳全夫人の引率で日本を訪問し、中島さんの実母が李徳全夫人にもう一人の息子が中国にいるので、代わりに探して欲しいと嘆願した。李徳全夫人はさまざまな経路から多方面にわたって捜索を行い、4年後に牡丹江で16歳の中島さんを探し出した。