左の写真は1937年7月7日、「盧溝橋事件」発生後、日本軍が河北省の宛平城を包囲して攻撃した。宛平城内で防衛のために駐屯していた国民党第29軍参謀王啓元は兵士に紐で腰に締められ、宛平城から出て、宛平城を包囲した日本軍と談判する様子(資料写真)。右の写真は2015年7月1日が撮影した宛平城の一角。(組み合わせ写真)
1937年7月7日は中国ひいては世界にとって、忘却できない日である。宛平城の戦火や砲煙は、日本侵略者が中国を全面的に侵略する暗い幕を開けた。盧溝橋付近の奮起した反撃が中国全民族による救国の起点になった。78年ぶりに、のろしが遠く離れたが、何年前の砲煙と戦火が今までも人々の心に刻まれている。新華社記者は北京、山西、河北、山東などの地域の抗日戦場を二度と訪れた時、昔の血と涙の洗礼を受けた焦土が現在、平和の光りを浴びていることを目にした。写真が時空を超越して、一回の現実と歴史の「対話」をすることは、平和の大切さをより一層顕著にさせた。