上の写真は八路軍115師の戦士は平型関で日本軍を待ち伏せ攻撃した様子(資料写真、1937年撮)。下の写真は2015年6月2日、83歳の山西省霊丘県小寨村の村民李世彩が平型関の戦いの主要戦場である乔溝の当時日本軍が待ち伏せ攻撃された道で歩いている様子。(組み合わせ写真)
1937年7月7日は中国ひいては世界にとって、忘却できない日である。宛平城の戦火や砲煙は、日本侵略者が中国を全面的に侵略する暗い幕を開けた。盧溝橋付近の奮起した反撃が中国全民族による救国の起点になった。78年ぶりに、のろしが遠く離れたが、何年前の砲煙と戦火が今までも人々の心に刻まれている。新華社記者は北京、山西、河北、山東などの地域の抗日戦場を二度と訪れた時、昔の血と涙の洗礼を受けた焦土が現在、平和の光りを浴びていることを目にした。写真が時空を超越して、一回の現実と歴史の「対話」をすることは、平和の大切さをより一層顕著にさせた。