【新華社東京4月16日】日本・横浜国立大学の村田忠禧名誉教授が先日新著『史料徹底検証 「尖閣領有」』について新華社記者の取材に応じた際、日本が釣魚島を盗み取った事実は否定できない。日本政府は領土問題において誠実ではないと語った。
村田教授は今年1月に『史料徹底検証 「尖閣領有」』 という本を出版した。この新著は日本政府の公開した文献資料などの史料を用いて、日本がどのように「尖閣諸島」(中国の釣魚島及びその付属島嶼)を一歩一歩不法に窃取していたかを細かく論証している。
村田教授は、日本政府は「尖閣諸島」が日本・明治政府により従属関係のない無人島だと確認された後、国際法上の「無主地の先占」の原則に基づいて、それを日本の領土に収容および再編成したと一貫して主張してきたと語った。しかし村田教授が日本政府の公文書などの資料を検証したところ、早くも1885年に、日本政府は釣魚島と「清国」の関係があることについて明確に意識していたが、外交問題の引き起こしを懸念したことから、関連の島嶼に国境表示を設けるという野望を放棄したことを発見した。しかし、1895年初旬、日本の甲午戦争での勝利が確定したことにより、日本政府はこそこそといわゆる内閣決議の方法で釣魚島をその管轄範囲に組み入れ、いわゆる「盗み取った」。
村田教授は、「清国」と当時の欧米列強の反発に遭うのを懸念したことから、ずいぶん長い間、1895年1月の日本・内閣決議は国内外に公表しなかった。明治政府もこれについて「清国」に照会したことはなかった。「尖閣諸島」は日本が甲午戦争の勝利のうちに盗み取った領土だと言うことができ、国際法に合わないばかりか、日本の国内法にも符合していないと語った。
村田教授は自身の経験として、日本政府の釣魚島領土問題におけるやり方が大変に不誠実だと指摘した。村田教授はその例として、昨年12月、日本・共同通信社の記者がイギリス政府の公開した公文書により、1982年当時の日本・鈴木善幸首相と当時のイギリスの首相・サッチャー夫人が東京で会談した際、中日が釣魚島問題において「棚上げ」することで合意したのを自ら認めていたことを発見したが、日本・外務省はメディアの証拠提出の要求に応える際、逆にどうしても認めなかったと語っている。
村田教授は、今年1月、外務省の外交史料館に当時の鈴木善幸元首相とサッチャー夫人の会談の日本側の記録を閲覧する申請を行ったが、関連の公文書は少なくとも10ヶ月の審査期間の後に、提供するかどうかを決定すると告げられたと語った。村田教授は転じて国会議員に助けを求めた。議員には政府機関に公文書の閲覧を申し出る権利があるからだ。しかしこれも断られたという。
村田教授は取材の中で、一部の勢力が領土問題を通して隣国への警戒心と敵意を扇動し、その不当な手段で利益をかすめ取ろうと企てているが、人々はこれらの勢力に騙されるべきではない。学者として、史実をより尊重し、真実を探し求め、中日間の友好で平和な理性ある雰囲気を共に作り上げてゆかねばならないと強調した。
(新華網日本語)
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