福建省福州市にある呉清源囲碁会館の展示の一部。
著名囲碁棋士呉清源(1914~2014年)は、中国福建省の福州北門半野軒に代々屋敷を構える名家に生まれた。9歳の時に父に連れられて北平(北京の旧称)の茶館「海平軒」(碁会所)で囲碁を習い、一流棋士から指導を受けた。13歳の時に、当時の国務総理で囲碁を得意とした段祺瑞と対局、全戦全勝した。後に日本に留学、囲碁を研究し、勢力と速度を重視する「新布石」を編み出した。1950年代には読売新聞主催の「十番碁」で一流棋士10人に連勝。その後も「日本最強決定戦」第1期と第3期で優勝し、「昭和の碁聖」「『新布石』の創始者」とたたえられる。世界の囲碁発展に革命的な貢献をした。
呉清源囲碁会館は福州市の烏山のふもとにある。2008年に呉清源本人の署名と許可を得て、2010年に落成した。
会館の灰色レンガ造りの建物と馬鞍墻(福州の伝統的白壁)からは、濃厚な明・清代福州古民家の風情が漂う。展示室には宋・元代の模様入り磁器製碁石や新中国で最初の「永子」(最高級碁石の一種)など、多くの囲碁に関する文化財が陳列してある。また呉清源ほか福州が輩出した多くの囲碁の名人の数奇な生涯、波乱に富んだ運命、不遇な身の上が展示されている。
会館の白壁のある箇所には、巨大な碁盤が描かれているが、盤面には数えるほどの碁石が置かれているだけだ。これこそが、呉清源が日本の21世本因坊秀哉名人と対局した際に打った驚天動地、鬼神も泣かす「世紀の一戦」の布石だ。(新華社記者/魏培全)