周氏によると、今年8月上旬に考古調査作業が始まってから、沈没船の100点以上の文化財が引き揚げられた。しかし調査作業はまだ文化財の大規模な引き揚げの段階には入っていない。沈没船の構造を保護するため、チームは水中に分散している大きな船体の一部を引き揚げていない。これは船体の引き揚げ作業計画の作成を待たなければならない。
甲午戦争中の1894年9月17日、黄海北部で中日海軍の主力による海戦が勃発した。北洋艦隊の5隻の戦艦が損失を被り、そのうち「致遠艦」、「経遠艦」、「超勇艦」、「楊威艦」が交戦海域で沈没した。鄧世昌が率いる「致遠艦」は旗艦「定遠艦」を護衛し、果敢にも日本軍の艦隊に突撃し、勇敢に戦い沈没した。救助された7人の船員を除き、全員が国のために殉死した。
(チャイナネット)
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