重大犯行:
1941年5月、湖北省鐘祥県において「一名の中国平和人民(男、年齢30才前、氏名不詳)を逮捕し来させ『道案内』にしようとしました。該平和人民は約五十米前進した時、小隊長の隙を見て逃げはじめました。この時私は…背後より射殺…しました」。
1942年11月、湖北省宜昌県において、逮捕された一名の中国平和人民(男)に対して「水ぜめ」(平和人民をあおむけに寝かせ大茶瓶を以って水を口、鼻の上に間断なく注ぐ)「火ぜめ」(麻縄を以て後手に縛り機械体操の鉄棒に吊レ、下から薪を燃やす)を行い「この平和人民を假死状態に陥入れ」「穴に入れてから生きかえるのを懸念して私は頸部を」もう一人の仲間は「心臓部を銃剣を以て刺突殺害し…」。