1944年6月、当陽県で全身に榴弾の破片を受けて負傷した抗日軍人男子25歳を捕え、重傷の苦しみの中で拷問した後、大隊軍医に渡した後、実験のため注射液(薬名不詳)を注射して惨殺した。
1945年3月、湖北省襄陽県で、捕えた平和農民4名の両手を縛り上げるよう命令し、部隊前方の地雷の敷設された道路を歩かせ、地雷を踏んで爆死した。
(新華網日本語)
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