1939年5月頃、兵士連中と共に命令により250名の八路軍捕虜を「古北口ヨリ孫呉迄…汽車輸送ヲナシ、第四軍司令部ニ引渡シマシタ」。第四軍は「酷使ノ后殺害シマシタ」。「殺害の根拠、此ノ愛国者タチハ所謂特殊工人トシテ扱ハレマシタ。特殊工人トハ死ヌ迄酷使スル或ハ秘密工事に使用后殺害スルト言ウ記号デアリマス。故ニ此ノ愛国者タチハ酷使后凍死セシメル或ハ秘密工事に酷使后爆殺、銃殺、細菌試験ニサラサレ惨殺サレタモノデアリマス」。
1940年10月下旬より約三週間、吉林省農安県において、偽警察官二〇〇名と共に石井部隊軍医二〇〇名のなす所謂防疫に協力し「軍医ヲシテ城内人民五〇〇〇名ニ対シ強制注射、家屋侵入消毒。死亡者二〇〇名中五〇名ニ対スル研究解剖等細菌戦準備研究ヲナサシタ」。
(新華網日本語)
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