【新華社北京4月25日】「引き続き平和的発展の道を歩んでいく」ことを承諾する一方で、靖国神社の戦犯幽霊に線香をたいている。日本当局はこのような「錯乱」行為が再度、人々にこの国の歴史問題に対する真実の態度を疑わせる。
安倍首相が国内外の圧力に迫られて二度と靖国神社に参拝しなかったが、そこに供物を奉納した。それは安倍首相が公然とその戦争の戦略性質と罪責を否定し、アジア人民に多大な苦難をもたらしたそれらの首切り人を「英雄」と尊敬していることを意味している。
供養した翌日、安倍首相はまた、インドネシアのジャカルタで次のように示した。私は多くの場合で、引き続き「村山談話」を含む歴代政府の歴史問題上での認識を堅持していきたいと承諾した。「この立場を変えることはない。」
「村山談話」の核心は、「日本による植民地支配と侵略によって、多くの国々、取り分けアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」ことを認め、また、「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と表明したのだ。
安倍首相のこの表面的に撤退するが、背後に攻撃する、また首鼠両端を持つというやり方は、安倍氏の一つだけのところに満足しない戦略的意図を暴露した。
ここで、死去したドイツのリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー元大統領の「誰かが歴史を顧みないと、現実に盲目になる。誰かが暴行を反省しないと、将来に覆轍を踏む可能性がある」名言を引用して、安倍晋三首相に勧告する。 (翻訳・編集/謝艶)
(新華網日本語)
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