「中国企業としての『三一』が関与してきたこれらの出来事が国際世論の注目を集めているのは中国の製造業が台頭している証拠だ」。原発事故の起こった福島の救援やドイツ企業の買収、オバマ大統領の提訴などで世界的な知名度が高まっていることに話が及ぶと、三一重工の向文波総裁は内心の感動を隠し切れないようだった。
同社の梁穏根・董事長(会長)は創設当時をこう振り返る。1984年、梁氏はほかの3人の同級生と国有企業を辞職し、あちらこちらから6万元を調達して、村民委員会から借りた古い建物の中で事業を始めた。
1986年の春節(旧正月)、梁氏は「対聯」(家の玄関などに貼る縁起の良い対句が書かれた赤い紙)をしたためて表に張り出した。上の句は「創建一流企業」(一流企業を作る)、下の句は「造就一流人才」(一流人材を生む)とした。正月の挨拶回りに来たある友人はこれを見て、さらに一句付け加えた。「作出一流貢献」(一流の貢献をする)。この3つはその後、その社名とスピリットとして生きている。
1993年、三一は本部を湖南省の漣源から省都の長沙へと移した。その後、中国経済の急発展とともに三一はみるみる発展し、20年余りのうちに、世界の施工機械のリーディング企業となった。
▽中国企業に対する欧州の見方を転換
ドイツのプツマイスター社の買収について聞かれると、向文波氏は、まだはっきり記憶していると証言した。「2011年12月、彼らのCEOが我々を訪ねてきて、顔を合わせるなり鞄から分厚い資料を取り出し、企業を売却したいと語り始めた」