▼安倍首相の「女性経済学」
安部政権が始まってからの日本では、「男女共同参画」、「社会的男女平等」が言われ続けている。第二次内閣改造時には、女性が家庭から職場に出て行けるよう推進し、支援することを担う「男女共同参画担当」の特命大臣が特別に設置された。
安倍首相のこれらの政策は、まるでフェミニストにとっての福音のように聞こえるが、「母権主義」に傾倒している人々からすると、この表現は正確ではない。安倍首相は声高らかに「男女共同参画」を唱えるが、これは「男女平等」のためでは決して無い。日本社会に問題が出たので、つまり、日本の男性だけでは社会を支えきれなくなり、女性の力が必要になったからであり、安倍首相は日本女性の社会活動を促し、日本経済の発展の推進剤にするつもりなのである。
安倍氏のこの「女性経済学」は少しハリウッド大作の様相を呈している。ハリウッド映画では、人類が様々な災厄を経験した後のシーンで、通常子供や芽生えたばかりの草木を特写し、再び燃え上がる生命の炎と希望を表現しようとする。安倍首相が監督を務めるこの日本経済という名の大作も、日本が長年の経済低迷の困難を経た後に、「大和撫子」と称される日本女性を家庭から社会に「登場」させている。
世帯収入が比較的少ない層にとっては、未来の日本は家庭にいる女性が再就職するために様々な支援を行い、中国同様の「男女共働き」、「婦女能●半辺天(●=てへんに掌天下の半分を女性が握ること)」を実現できることになるが、世帯収入が安定しており、「母権」を握るしたたかな女性たちは「男女平等」や「女性の権利」といった甘言に決して騙されないだろう。
(人民網日本語版)
推薦記事:
仕事中毒の日本、「がむしゃらな働き方」を改め