19日、天津市烈士陵園「花岡暴動紀念園」で平和の鳩を飛ばす中日友好人士訪中団。(天津=新華社配信)
【新華社天津11月21日】中国天津市北辰区の天津市烈士陵園に18、19両日、旅日華僑中日交流促進会の林伯耀(りん・はくよう)代表に率いられた十数人の中日友好人士が訪れ、強制連行で犠牲となった中国人労働者に花を供え、哀悼の意を表した。
中国侵略戦争の間、日本は中国から約4万人の労働者を強制連行し、国内の135カ所で過酷な労働を強い、累計6830人が異国の地で非業の死を遂げた。「この歴史を忘れてはならない」。林さんはそう述べ、歴史を銘記するのは恨みを募らせるためではなく、未来に向かうためだと続けた。
秋田県花岡鉱山に強制連行された中国人労働者が蜂起した「花岡暴動」で、日本は軍隊、警察など2万人を動員、残酷な弾圧を行い、400人余りが亡くなった。これは国際法廷で戦争犯罪と認められた唯一の中国人労働者迫害事件であり、世界反ファシズム戦争史の悲壮な1ページとなった。
花岡平和友好基金管理委員会北京事務局の張恩竜(ちょう・おんりゅう)さんによると、今年は中国人労働者が花岡に強制連行されてから80年の節目の年に当たる。今回日本からやって来た中日友好人士の訪問団は、河北省や河南省などで生存者の子孫を訪ね、天津を訪れ追悼した。
天津市烈士陵園「在日殉難烈士・労工紀念館」は1955年6月に設立された初の国家級抗日記念施設で、日本で亡くなった犠牲者の遺骨を中国で唯一保管している施設でもある。1953年から9回にわたり日本から中国に遺骨が返還され、2314人分の遺骨が保管されている。
今年96歳になる町田忠昭さんは最初の遺骨送還に参加し、その後70年以上にわたり中国人労働者とその家族のために活動してきた。「日本人として謝罪してもしきれない」。町田さんは労働者を悼む石碑の前でこう述べ、活動をするのは中日両国の友好が長く続いてほしいからだと語った。(記者/李鯤、尹思源)