トヨタ 出発は繊維産業
トヨタ自動車が2002年に「ヴィオス」を初の国産自動車として売り出す前に、トヨタ紡織株式会社が1995年に中国市場に進出していたことはあまり知られていない。同社は後の国産自動車製造に向けて関連の大規模な計画を進めていた。
トヨタは日本の自動車産業のトップになる前は大手織機メーカーだった。トヨタ自動車の創始者・豊田喜一郎氏の父・豊田佐吉氏は、1924年に日本初の自動織機「無停止杼換式豊田自動織機」(G型織機)を開発し、2年後に設立された株式会社豊田自動織機が製造を担当した。
トヨタ紡織の操縦士である豊田喜一郎氏は現状に満足できなかった。東京帝国大学工学部で機械を専攻した同氏は、当時勃興しつつあった欧米の自動車産業に多大な興味を感じていた。トヨタ自動車を創業するための資金には、豊田紡織の特許を転売した時の収益が充てられた。これと同時に、トヨタの繊維工業の発展によってもたらされた「すべての工程で高い質を確保する」、「欠陥品を次の工程に紛れ込ませない」といった生産管理の理念は、その後のトヨタの自動車工業にしっかりと受け継がれた。
自動車工業の発展にともない、豊田紡織は自動車工業と歩調を合わせて発展する自動車部品会社に生まれ変わった。中国ではトヨタ自動車にサービスを提供するだけでなく、セネラルモーターズ(GM)、BMW、中国独自ブランドなどに部品を提供している。