【新華社ハルビン5月4日】世界反ファシズム戦争と中国人民抗日戦争勝利70周年を記念するため、中ロ両国は5月10日から6月10日にかけて、中国・東北解放の戦闘で犠牲となったソ連赤軍将兵の遺骨を共同で収集する。これは両国史上におけるこの種の活動の初実施である。
4月30日までに、ロシア側が東北地域に派遣した先遣チームの隊員は10日にわたる前期の準備作業を終了させ、探索の範囲を黒竜江省牡丹江市穆棱鎮火焼山の周囲32平方キロメートルに確定し、また当時の戦争資料に基づいて現場調査を行う。現在ではすでに段階的な作業を完成させ、ソ連軍烈士を埋葬したと思われる15~17ヶ所の地域を発見しており、次の段階では考古学や人類学などの専門家がこれらをもとに作業を開始する。
取材の中で、記者は当時ソ連赤軍と日本関東軍がこの地域で交戦した際の経験者2人を訪ね、彼らに当時の激戦時の状況を伺った。
1945年8月9日、ソ連紅軍は中国東北へ出兵し、日本・関東軍を一挙に潰し、中国人民の抗日戦争勝利のプロセスを力強く推し進めた。ソ連軍は東、西、北の3つのルートに分かれて中国・東北地域内に入り、東線のソ連軍が綏芬河(すいふんが)から地域内に入り日本軍の最初の防御線を攻め落とし、8月12日ごろに穆棱鎮の二番目の防御線に入っている。中ロはソ連軍烈士の遺骨があると思われる穆棱鎮火焼山に位置する地域を共同で探索する。これは両軍が穆棱鎮で交戦したうちの一つの戦場で、交戦した双方とはソ連極東第一方面軍第五集団軍190歩兵師と日本関東軍第124師団だ。