18日、瀋陽市の「九・一八歴史博物館」で行われた式典の様子。(瀋陽=新華社記者/李鋼)
1931年9月18日、日本の関東軍が中国東北部で「九・一八」事変(柳条湖事件)を引き起こし、中国人民の14年にわたる抗日戦争と世界反ファシズム戦争が幕を開けた。95年前のこの出来事を振り返ると、戦火はとうに収まったものの、その歴史が後世に投げかける問いと教訓は、今なお色あせていない。
その夜、瀋陽北郊の柳条湖で爆発音が響き、東北の大地の静寂を破った。日本の関東軍は南満州鉄道の線路の一部を自ら爆破し、その責任を中国軍に転嫁。これを口実に、中国東北軍の兵営が置かれていた北大営を攻撃し、瀋陽市内を砲撃した。
これは突発的な軍事挑発ではなく、周到に準備された計画的な行動だった。事件当日、日本軍は現場に偽の証拠を仕込み、事実を歪曲した情報を直ちに国際社会に発信した。日本の主要紙も「中国軍が鉄道を爆破したため、日本軍は自衛を余儀なくされた」とする説明を一斉に報じ、国内世論の形成を図った。日本の外務省も海外メディアに偽造した写真や証言を提供した。国際連盟で中国東北部の情勢が議論されると、日本側は自らを被害者の立場に置き、中国への厳罰を求める議案を提出。常任理事国としての地位を利用し、調査の方向性にも影響を及ぼそうとした。さらに、傀儡(かいらい)政権「満州国」への支持を取り付けるため、日本のメディアや出版物は、侵略を「王道楽土の建設」「満州の住民の保護」「地方秩序の維持」などと正当化した。
18日、雲南省騰衝市の滇西抗戦紀念館を訪れ、同省西部における抗日戦争の歴史を紹介する展示を見学する滇西応用技術大学珠宝学院の教員と学生たち。(騰衝=新華社配信/龔祖金)
侵略を「自衛」と偽り、周到な計画に基づく行動をやむを得ない「対応」として描く。こうした論理によって一時的に人々を欺くことはできても、歴史の事実を覆い隠すことはできない。1932年10月、国際連盟が派遣したリットン調査団は報告書を発表し、中国が東北部に主権を有することを認め、日本の軍事行動を侵略行為と判断した。翌33年には国際連盟がリットン報告書を受け、日本に中国東北部からの撤兵を要求した。東京裁判の判決文にも、日本が中国に対して行った戦争は「1931年9月18日夜に始まった」と明記されている。
日本は1927年の「東方会議」で、中国東北部の占領を目指す「国策」を確立していた。しかし、その実行に当たって日本軍は国際社会の反発を警戒し、その反応を見ながら段階的に行動を進め、どこまで踏み込めるかを探っていた。「九・一八」事変の発生当初、日本政府内では欧米列強の強硬な干渉が計画の妨げになることを懸念する声があった。そのため、いわゆる「不拡大」方針を掲げ、中国東北部に「いかなる領土的野心もない」と表明した。
しかし、国際連盟理事会は日中双方に警告を発する決議を採択し、侵略した側と侵略を受けた側を明確に区別しなかった。こうした対応は、結果として日本の侵略を容認することにつながった。欧米諸国が日本の対外拡張を黙認し、宥和(ゆうわ)的な姿勢を取ったことで、日本側の懸念は払拭された。
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館を見学する来館者。(8月4日撮影、ハルビン=新華社記者/張濤)
歴史が示すように、軍国主義への宥和は平和をもたらすどころか、日本による侵略の拡大を許す結果となった。「九・一八」事変からわずか4カ月余りで、中国東北3省の約100万平方キロに及ぶ地域が日本の占領下に置かれた。
日本はその後、中国東北部で14年にわたる植民地支配を続けた。この間、資源の略奪や住民の虐殺、労働者の強制徴用や強制労働が行われた。731部隊による細菌戦や人体実験に加え、中国人としての民族意識を失わせることを目的とした教育も進められた。日本軍国主義は中国東北部を足場として、中国全土への侵略を本格化させた。
今日に至っても、日本の右翼勢力は「九・一八」事変をはじめとする侵略の歴史を認めようとせず、その事実を矮小(わいしょう)化し、さらには美化する動きを続けている。日本を「被害者」として描く一方、1931年以降の中国侵略における加害の歴史から目を背け、広島と長崎への原爆投下が日本社会に残した深い傷を繰り返し強調している。
こうした歴史観の影響もあり、日本の若い世代には、軍国主義が犯した罪を十分に知らない人も少なくない。近年はアイドルグループやeスポーツ、映画・テレビ番組などでも、日本刀や旭日旗といった軍国主義を想起させる意匠が目立つようになっている。
18日、江蘇省南京市の侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館で、防空警報が鳴り響く中、黙とうする人々。(南京=新華社配信/蘇陽)
「九・一八」を記憶にとどめることは、日本の右翼勢力による歴史の歪曲(わいきょく)を明らかにすることでもある。この事変は、日本軍国主義による侵略拡大の出発点であり、日本が中国に対する侵略の加害者であったことを明確に示している。自らが受けた苦しみだけを語り、他国にもたらした惨禍から目を背けることは、加害の歴史を覆い隠し、被害の歴史だけを強調することにほかならない。こうした歴史の切り取り方は、過去をゆがめるだけではなく、侵略を受けた国や人々を再び傷つけることにもなる。
「九・一八」を記憶にとどめるのは、憎しみを次の世代に引き継ぐためではない。歴史の事実を明らかにし、平和を大切にしながら、未来を切り開くためである。この事変の歴史は、日本軍国主義が世論を操作し、侵略を正当化し、歴史をゆがめてきた過程を映し出している。同時に、歴史の正義と戦後の国際秩序を守り、軍国主義の復活を防ぐことの重要性を、今日の世界に改めて訴えている。
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筆者:周亜欣(国際問題評論家)
本稿の内容は筆者個人の見解であり、必ずしも新華社の立場や見解を示すものではありません。