瑪不錯遺跡第1期出土の骨器や石器、蚌器、滑石珠などの遺物。(日喀則=新華社配信)
【新華社ラサ1月27日】中国西蔵自治区の文物保護研究所は、国内の合同発掘調査隊が同自治区日喀則(シガツェ)市で5年かけて発掘した瑪不錯(マーブーツオ)遺跡について、青蔵高原の奥地で最も標高が高く、年代が最も古い新石器時代の湖畔遺跡だと明らかにした。使用された期間が長く、文化序列も明確で、外部からの影響を多く受けつつも独自の文化的特徴を持ち続けたと指摘した。
遺跡は同市康馬県の瑪不錯湖畔にあり、標高は4410~4430メートル。14万平方メートル余りに分布し、これまでに1650平方メートルを発掘した。
瑪不錯遺跡の全景。(日喀則=新華社配信)
遺跡主体部分の年代は4800~2千年前と推測され、瑪不錯の先住民が典型的な東アジア人種で、青蔵高原の先住民族を代表する集団だったことが出土品から証明された。遺跡第1期の主な経済活動は漁業と狩猟で、食性分析から主に魚を食していたことも分った。
合同発掘調査隊のリーダー、夏格旺堆(シアゴーワンドゥイ)さんは、豊富な遺構・遺物の発掘と複合領域研究により、西蔵中部の先史文化の4千年前の起源が初めて確認されたと説明。第2期と第3期の文化も自治区のこれまでの遺跡と明らかに異なり、瑪不錯文化という新しい文化類型を示していると語った。
瑪不錯遺跡第2期出土の土器。(日喀則=新華社配信)
遺跡が青蔵高原と南アジアの境界域に位置する点も注目されている。地理的に文化交流の中継地点であり、イネやアワ、キビ、貝殻、象牙、羊、青銅器、滑石珠、費昴斯(ファイアンス焼き)、紅玉髄(カーネリアン)など、出土層が明確かつ青蔵高原で年代が最古となる外来遺物が発見された。これらの発見は、青蔵高原での大陸間の文化交流の空白を埋めただけでなく、中国の各民族の往来や交流、融合、中華文明の多元一体性の形成を証明する確かな証拠をもたらした。(記者/春拉)