4日、屈家嶺遺跡の熊家嶺で見つかった古代堰の発掘現場。(小型無人機から、荊門=新華社記者/肖芸九)
【新華社武漢12月6日】中国湖北省荊門市にある新石器時代の遺跡、屈家嶺(くつかれい)遺跡で4日、考古学専門家による現場会議が開かれ、3年近くにわたる全面調査と系統的な発掘調査により複数の大規模水利システムが発見されたことが明らかにされた。先史時代の水利社会の形成と発展を考察する上で重要な証拠となる。
遺跡は長江中流域の新石器時代文化、屈家嶺文化(紀元前3300~同2600年)の発見地と命名地で、大洪山南麓から江漢平原への中間地帯に位置する。長江中流文明の起源を実証する重要な大型遺跡であり、1950年代から3度にわたり発掘調査を実施。現在は湖北省文物考古研究院などが2015年から継続的な調査を行っている。
遺跡群北東部にある熊家嶺(ゆうかれい)を訪れると、水利システムが堰(せき)や貯水区、灌漑(かんがい)区、余水路などで構成されているのが確認できた。堰は青木壋河(せいぼくとうが)の東西方向の支流に土で築かれており、南北の両端が山につながる。現存する高さは約2メートル、幅は上部が約13メートル、底部が約27メートルで、長さは約180メートル。堰の東は自然の丘と合わせた面積が約19万平方メートルの貯水区、西は約8万5千平方メートルの灌漑区で、植物考古学の研究で先史時代の水田の存在が示された。余水路は貯水区の北側に設けられ、入口の幅は約26メートル。水路は南から北へ高低差があり、地勢に合わせた科学的な建設理念が表れている。
堰の地層断面は前期と後期の境がはっきりしており、後期の堰が前期の堰の高さと幅を拡張して造られたことが分った。同遺跡発掘プロジェクトのリーダーを務める湖北省文物考古研究院の陶洋(とう・よう)副研究館員は「前期の堰は出土遺物と年代測定により4900~5100年前と分かった。中国でこれまでに出土した水利施設の中で最も古く、最も明確なものとなる」と語った。
会議に参加した専門家は、今回の発見が先史時代の人々の治水理念の受動的な水防から能動的な水の制御・利用への転換、自然適応の段階から自然改造の段階への飛躍の部分的実現を示していると指摘。屈家嶺の治水モデルの探求は先史時代の単体集落における水資源の管理・利用の細かな部分を理解する上での支えになるとの見方を示した。(記者/喩珮)pagebreak
4日、屈家嶺遺跡の熊家嶺で見つかった古代堰の発掘現場で作業する発掘スタッフ。(荊門=新華社記者/肖芸九)pagebreak
4日、屈家嶺遺跡の熊家嶺で見つかった古代堰の発掘現場で作業する発掘スタッフ。(荊門=新華社記者/肖芸九)pagebreak
4日、屈家嶺遺跡の熊家嶺で見つかった古代堰の発掘現場で作業する発掘スタッフ。(荊門=新華社記者/肖芸九)pagebreak
4日、屈家嶺遺跡の一角。(小型無人機から、荊門=新華社記者/肖芸九)