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中国の考古学者が証明した遣唐使「円仁」の足跡 掘港国清寺
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2018-07-23 22:09:39 | 新華社 | 編集: 郭丹

20日、遺構から発掘された磁器を点検する専門家。(新華社記者/李賀)

【新華社南京7月23日】中国の考古学者は、江蘇省南通市如東県の掘港国清寺での1年にわたる発掘調査で、唐・宋時代の建物の基壇(土台)3基を発見し、この場所が9世紀に日本が中国へ派遣した最後の遣唐使に留学僧として加わった円仁(のちの天台宗第3世座主)が「入唐求法巡礼行記」に記した「求法」の出発点だったことを証明した。

発掘の現場責任者、南京大学文化・自然遺産研究所の王碧順氏によると、今回の発掘では地層関係のほか、唐・宋時代の蓮の花の模様が刻まれた礎石や「国清」「方丈」「僧」「羅漢」などの墨書款(磁器の底に墨で書かれた文字)のある磁器のかけら、多くの仏像、陶製の人面塑像などが出土し、円仁の記載を裏付ける根拠となった。

「入唐求法巡礼行記」には、海で遭難した円仁らが南通の「掘港」に上陸し、国清寺で数週間過ごした後、「掘溝」運河で揚州に至り、さらに大運河で唐の都長安へとたどり着いたことが記録されており、中国と日本の仏教、文化交流の逸話や美談はここから始められている。

今回の調査では、このいにしえの名刹の容貌も明らかにされた。3つの基壇の年代は唐の元和期(西暦806年—820年)とされ、著名な天台宗法師行満が寺院を創建したとする文献の記録と一致する。唐・宋時代の基壇は東西約60メートル、南北約80メートルで、その上に建てられた建物の面積は約1500平方メートルとされる。考古学者は配置や石柱の穴、壁体の形態に基づき、南北の中心線上に3つの主要建造物が順に並んでいたと推測する。

今回の考古学上の発見は文献の記載を補う形で、隠されていた多く歴史を明らかにした。今回の発掘プロジェクトの責任者で、南京大学歴史学院の賀雲翱教授は「唐・宋時代の国清寺の遺構は歴史における重要な座標となる」と述べ、日本の遣唐使の活動や中国と日本の天台宗文化に関わる歴史、海上シルクロードの東中国海ルートにおける「新たな発見」だとした。

例を挙げると、円仁が「掘溝」は隋代に開削されたとする記述は、これまで多くの学者がその信ぴょう性を疑ってきたが、今回の発見は旅行記の記述が真実であることを証明した。賀氏は「円仁が旅行記に綴った重要な訪問場所は10カ所以上あるが、実際に遺跡として発見されたのは掘港国清寺だけであり、その重要性は明らかだ」と語った。

今回の発掘調査では、ほかにも唐・宋時代の建築部材や磁器、紫砂器、石刻、銅銭、多くの動植物の遺物も出土している。(記者/屈婷、張展鵬)

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中国の考古学者が証明した遣唐使「円仁」の足跡 掘港国清寺

新華網日本語 2018-07-23 22:09:39

20日、遺構から発掘された磁器を点検する専門家。(新華社記者/李賀)

【新華社南京7月23日】中国の考古学者は、江蘇省南通市如東県の掘港国清寺での1年にわたる発掘調査で、唐・宋時代の建物の基壇(土台)3基を発見し、この場所が9世紀に日本が中国へ派遣した最後の遣唐使に留学僧として加わった円仁(のちの天台宗第3世座主)が「入唐求法巡礼行記」に記した「求法」の出発点だったことを証明した。

発掘の現場責任者、南京大学文化・自然遺産研究所の王碧順氏によると、今回の発掘では地層関係のほか、唐・宋時代の蓮の花の模様が刻まれた礎石や「国清」「方丈」「僧」「羅漢」などの墨書款(磁器の底に墨で書かれた文字)のある磁器のかけら、多くの仏像、陶製の人面塑像などが出土し、円仁の記載を裏付ける根拠となった。

「入唐求法巡礼行記」には、海で遭難した円仁らが南通の「掘港」に上陸し、国清寺で数週間過ごした後、「掘溝」運河で揚州に至り、さらに大運河で唐の都長安へとたどり着いたことが記録されており、中国と日本の仏教、文化交流の逸話や美談はここから始められている。

今回の調査では、このいにしえの名刹の容貌も明らかにされた。3つの基壇の年代は唐の元和期(西暦806年—820年)とされ、著名な天台宗法師行満が寺院を創建したとする文献の記録と一致する。唐・宋時代の基壇は東西約60メートル、南北約80メートルで、その上に建てられた建物の面積は約1500平方メートルとされる。考古学者は配置や石柱の穴、壁体の形態に基づき、南北の中心線上に3つの主要建造物が順に並んでいたと推測する。

今回の考古学上の発見は文献の記載を補う形で、隠されていた多く歴史を明らかにした。今回の発掘プロジェクトの責任者で、南京大学歴史学院の賀雲翱教授は「唐・宋時代の国清寺の遺構は歴史における重要な座標となる」と述べ、日本の遣唐使の活動や中国と日本の天台宗文化に関わる歴史、海上シルクロードの東中国海ルートにおける「新たな発見」だとした。

例を挙げると、円仁が「掘溝」は隋代に開削されたとする記述は、これまで多くの学者がその信ぴょう性を疑ってきたが、今回の発見は旅行記の記述が真実であることを証明した。賀氏は「円仁が旅行記に綴った重要な訪問場所は10カ所以上あるが、実際に遺跡として発見されたのは掘港国清寺だけであり、その重要性は明らかだ」と語った。

今回の発掘調査では、ほかにも唐・宋時代の建築部材や磁器、紫砂器、石刻、銅銭、多くの動植物の遺物も出土している。(記者/屈婷、張展鵬)

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