Jp.xinhuanet.com | 発表時間 2017-07-10 17:52:42 | 編集: 王珊宁
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  紀元960年、宋の太祖・趙匡胤が陳橋兵変を起こし、宋を建て、五代十国の分裂は終わった。宋は、1279年、元に滅ぼされるまで319年間存続した。宋は時期により、北宋と南宋に分けられる。北宋の政権と鼎立する形で、ほぼ同じ時期に、契丹人が北部で遼(9471125)、党項人が北西部で西夏国(1038-1227)、さらに、1115年、女真人が北方で金国(1115-1234)をそれぞれ建てた。金は1125年、遼を滅亡した後、1127年、宋の都・開封に攻め入り、徽宗、欽宗を捕虜として連れ去り、北宋を滅ぼした。宋の高宗・趙構が南京応天府(現在の河南省商丘)で即位したが、後に臨安(現在の杭州)に逃れて、江南を行在(仮の都)として、南宋を建国。いわば、北宋は遼、夏、金と対峙する時期を指し、南宋は江南に逃れて衰亡していく時期を指すのである。

北宋は北方地区を統一した後、社会、経済、文化に大きな発展が見られ、海外との貿易も盛んに行われていた。範仲淹の「慶暦新政」、王安石の新法等の政治改革は、北宋の長期的な繁栄を完全に実現できなかったが、一部の社会的矛盾を解決した。方臘、宋江による農民蜂起は徽宗時代の腐敗した暗黒の統治に反抗したものである。北宋が金に滅ぼされた後、南宋は基本的に江南地区に甘んじ、北上して再び北方を統一する雄大な謀略を計画する力を失っていた。有名な武将の岳飛が北伐し、金を攻撃する行動さえ、統治者の目から見れば、自己保護の目的に過ぎなかったのだ。さらに、南宋末期の賈似道の腐敗政治は南宋の滅亡を加速した。

この時期、科学技術に著しい成果が収められた。羅針盤、印刷術、火薬などの三大発明は引き続き開発と応用が進み、中でも、畢昇の発明した活字印刷術はヨーロッパより400年も早かった。蘇頌は世界初の天文鐘である「水運儀象台」を作り、沈括の著した『夢渓筆談』は科学技術史上、極めて高い地位を有している。文化面では、理学が盛んで、朱熹、陸九淵などの理学者が現れ、道教、仏教及び外来の宗教もすべて非常に盛んであった。北宋・欧陽修の編纂した『新唐書』は唐の歴史研究に大きな貢献をした。さらに、司馬光の編集による『資治通鑑』は編年史の典範となった。文学では、欧陽修、蘇軾などの散文の大家が現れた。宋詞はこの時期の文学の最高峰をなし、晏殊、柳永、周邦彦、李清照、辛棄疾などの代表的な詞人が現れた。宋、金の時代では話本、戯曲が比較的盛んだった。絵画は山水花鳥を長とし、張択端の『清明上河図』が中国絵画史不朽の名作である。

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