隋唐

Jp.xinhuanet.com | 発表時間 2017-07-10 17:52:42 | 編集: 王珊宁
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  紀元581年、隋の文帝・楊堅が隋朝を建て、618年、煬帝が楊広に絞殺されるまで、隋朝は37年間の存命だった。中では、文帝の貢献が最も大きかった。具体的には、一つは官僚制度の改革である。文帝が北周の六官制度を廃除し、三省六部制をつくった。二つ目は法整備である。新たに作り出された法律では、刑罰が南北朝時代ほど残酷ではなくなった。三つ目は、科挙試験の創設である。これにより、官僚選抜の新しい方法が確立された。一方、煬帝は大運河の開鑿で50%の功労を残したと言われている(残りの50%は個人行楽のため)。しかし、それ以外、他の方面では後世に良いイメージを与えず、もっぱら暴君としか知られていない。煬帝は苛斂誅求により、人民の恨みがたぎり、最後は自分の行いの結果を受け、江都で絞殺され、隋朝も滅びる運命となった。

唐王朝は紀元618年に建立され、907年、朱温に滅ぼされ、その存続期間は289年間だった。唐は安史の乱を境目に、隆盛期の前期と衰退期の中期に分かれている。唐の高祖は唐朝を建てたが、太祖の李世民は兵を率い、10年間をかけてようやく統一の大業をやり遂げた。李世民は玄武門の変を経て即位後、精励して国をよく治める政策を推し進め、これにより、唐朝は中国の封建社会で空前の繁栄を実現し、「貞観之治」が現れ、政治、経済、文化など各方面で当時の世界で指導的役割に立っていた。その後、玄宗の時代に再び「開元盛世」が現れ、国が栄え民が裕福になり、太平の世が再現した。しかし、玄宗年間の終りに安史の乱が起き、その後、唐朝は衰退の一途を辿るようになった。

  隋唐では、法令制度作りに数多くの成果が現れた。例えば、三省六部制、科挙制度、両税法などはいずれも後世に深い影響を及ぼした。隋と唐は、対外向けに比較的開放的な政策を講じ、海外と頻繁に経済や文化の交流を行った。文学では、唐詩が最大の業績を残した。初唐の陳子昂、盛唐の李白、杜甫、中唐の白居易、元積、晩唐の李商隠、杜牧がその優れた代表である。韓愈、柳宗元の唱導した古文運動は後世に甚だしい影響を与えた。このほか、顔真卿の書、閻立本、呉道子、李思訓、王維の絵画、『霓裳羽衣舞』などの音楽や舞踊及び数多くの石窟芸術も後世に長く伝わっていた。科学技術では、中国の四大発明中の印刷術と火薬はこの時期に発明されたものだった。

  後期の唐王朝は政治が乱れ、牛李党争から宦官専制までの間、農民蜂起が後を絶たず、ついに、黄巾蜂起が勃発した。蜂起軍リーダーの一人である朱温は最初は朝廷に投降したが、後に唐朝を取って変わり、自ら帝と称し、五代の最後の王朝である後梁を建てた。

 

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